端午徒然
たんごつれづれ

端午の節句
「端午」の「端」とは「初め」の意であり、五月の初めの午(うま)の日のことです。これから迎える厳しい梅雨と夏の季節に備えて、薬草採りに行きました。その薬草の代表的なものが菖蒲(しょうぶ)です。菖蒲は勝負あるいは尚武と同じ音ということで、武を尊ぶ男の子のお祝いとななったのです。または、勝負ということから民間では「石内合戦」「舟合戦」等が行われました。
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鎧・兜
節句に飾る鎧は約千年前の日本独自の武具です。当時は戦闘の機能性よりも「美」が尊ばれました。勝負の勝ち負けよりも美しさと潔さがもてはやされました。このような価値観を下地として、鎧兜はその時代の工芸の粋を極めたものになり、世界的にも類のない武具となったのです。この気風が時代が下っても残り「名こそ惜しけれ」の武士道になっていったのです。
鎧兜は時代が下るとともに徐々に神格化されていき、家を護るようにもなり、男子の成長を祈る節句の飾りとなったのです。
cf. 鎧・兜の色目
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鯉幟(こいのぼり)
鯉幟は武家の幟旗に対抗して江戸時代に町人が作り出したものです。本来は水の中のはずの鯉が大空を舞台に泳ぐ、なんていうのはなんという大胆な発想でしょう。しかも考え出したのは庶民です。当時の江戸の庶民は世界的にみても素晴らしい気概と独創性を持っていたのです。
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戦争の道具?
「子どもに戦争の道具である鎧を飾るなんてとんでもない」という投書がかつてあったと聞きます。しかしこれは誤解です。鎧は身を守るためのもの、また戦闘を避けるためのものです。
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室町時代以前の武技の本流は弓でした。しかも技量を大変必要とされる引き弓に終始したのです。卑弥呼の時代から連綿と中国から武具は入ってきているにもかかわらず、中国のような大型の刀は日本には定着しませんでした。また刀の発達もあまり見受けられません。これは日本人が直接的な返り血を浴びるような戦闘を好まなかったからではないでしょうか?
また弓にしても漢秦の時代からホーガンのような殺傷能力が高く、安易に引ける弓があったにもかかわらず、日本では個人技が大きく左右し殺傷能力の高くない引き弓にこだわったのです。以上のことは日本人が平和的な民族でいられたなによりの根拠ではないでしょうか?
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